ドアがしまります

ご注意ください

これからのこと

 久々の出社。朝から気持ちはどんよりですわ。朝起きた時点で憂鬱。憂鬱職人の朝は早い。
 まだ上半期すら終わっていないけれど、今年は本当に色々なことが起きている。自分たち夫婦のことで言えば、今年の10月に子供が生まれる。そして、今年の6月から一戸建てに住む。夫婦にまつわるところで言えば、妻のお母さんががんのステージ3であることがわかり治療中、自分のお母さんが難病で入院、など。仕事のことで言えば今年は今関わってるプロジェクト最初の大きな山場を迎える。書き出してみると改めて、試練の年だと思う。
 そんな試練の中でも一番頭の中で占めているのは、やはり病気のことだ。自分のお母さんは難病とはいえ退院出来たし、命に直ちに関わるような病気でもないようなので、油断は出来ないけれども、まだ良い方だと思う。でも、妻のお母さんは予断を許さない状況だ。治療の可能性は残っているので絶対に治ると信じてやまない、けども、治療の道のりだってそんなに楽なものではない。
 お母さんのほうが大変だと言われればそうなんだけれども、自分たちにとっても試練だ。特に妻は、お母さんを精神的な柱にしているから、その柱を揺るがす状況になっている今、すごく今不安定な状態になっている。そこを自分はうまく支えてあげたい。お母さんは本当にパワフルなので自分には一朝一夕に成り代わることは難しいけど、どうにか頑張りたい。
 そんなことがいろいろ起きながら、仕事。親がそんな状態になっているのに仕事をしないといけないのである。勤労の義務と言われりゃ、そうなのかもしれないけれど、モヤモヤする。自分の親がそんな状態になっているのに、果たさないといけない義務なんだろうか。
 理屈ではわかる。そりゃ昔なんて、食べるために狩りをしていたわけで、そんなんどんな状況であれ狩りをしなけりゃ生死に関わる。仕事だってそうだ。どんな状態だってしなきゃいけない。わかる。わかるけど、なんだか切ない。
 もし、自分と同じ状況に置かれた人がそこにいたとして、それでも義務だから働けとは言えない。ある程度はみんなで穴埋めするから行って来い、と言いたい。
 でも、そんな社会だとどんどん人が堕落して歯止めが効かなくなる、ということも理屈ではわかる。わかるけど、本当はそういう社会であってほしいなと思うんですよね。
 前回も似たようなこと書いたけど、純粋に幸せになりたいんですよね。社会がすぐにそうならないのであれば、少なくとも自分たちの家族までぐらいは、そうなってほしい。だから今の生活は何とか変えたい。どうにか道を見出して、幸せになりたい。甘えとか逃げとかと言われても構わない。より幸せにになりたいと希求することの何が悪いんだ。宗教的に聞こえるかもしれないけど、全くそんなことに傾倒してるわけではなく、純粋にそう思う。
 今日から、自分たちの家族が幸せになる道を探していきたい。